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いわて銀河で菅原寿が石川啄木講座
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【銀座新聞ニュース=2010年2月8日】いわて銀河プラザ(中央区銀座5-15-1、南海東京ビル1階、03-3524-8283)で2月14日13時30分から菅原寿さんによる「第55回いわて学講座」を開催する。
「いわて学講座」は年に数回、岩手県在住者あるいは岩手県出身者が講師となって「岩手県」に関する専門的な知識を披露するセミナーで、今回は岩手県出身で財団法人「石川啄木記念館」(岩手県盛岡市玉山区渋民字渋民9、019-683-2315)の館長、菅原寿(すがわら・ひさし)さんが講師となり、詩人の石川啄木(いしかわ・たくぼく、1886-1912)について、これまで知られざる人生を語る。
ウイキペディアによると、石川啄木は1886年岩手県南岩手郡(現盛岡市玉山区)に生まれ、1901年12月から「岩手日報」に短歌を発表、中学校をカンニングや欠席、成績の悪さなどから1902年に退学して上京、正則英語学校(現正則学園高校)に通った。しかし、結核を発病し、1903年に故郷に帰った。
11月に「明星」に短歌を発表し、新詩社同人となり、この頃から「啄木」の筆名を使う。1904年に再び上京し、1905年に第1詩集「あこがれ」を刊行、同年に堀合節子(ほりあい・せつこ、1886-1913)と結婚した。1906年4月から渋民尋常高等小学校の代用教員になるも、1907年に北海道に移り住むため退職、その後、函館商工会議所の臨時雇い、代用教員、「函館日日新聞」遊軍記者、北海道で「小樽日報」記者、旧釧路新聞社記者などを経て、1908年に上京し、200首以上の短歌を「明星」に発表、並行して「東京毎日新聞」に小説「鳥影」を連載した。
1909年に「スバル」を創刊、「東京朝日新聞」校正係を務め、このころからローマ字で日記を書くが、浅草の娼妓と遊んだ件が赤裸々に描写されており、借金のほとんどはこうした遊興に費やされたと見られている。同年に第1歌集「一握の砂」を刊行した。その前後から社会主義思想にひかれ、1910年ころから幸徳秋水(こうとく・しゅうすい、1871-1911)の「陳弁書」を読み、天皇暗殺計画を企てたとされる大逆事件(1911年から1912年)の裁判全体を政府がねつ造したと確信している。
1911年12月ころから腹膜炎と肺結核を患い、発熱が続き、1912年4月に小石川区久堅町にて肺結核のため死去した。没後の6月に第2歌集「悲しき玩具」が刊行された。
菅原寿さんは岩手県生まれ、大学卒業後、オランダ・ロッテルダム日本人学校長、玉山村立渋民中学校長(現盛岡市立中学)、盛岡市好摩地区公民館長を経て、2008年から石川啄木記念館の館長を務めている。
時間は13時30分から15時で、定員が先着順で30人。申し込み、問い合わせは岩手県東京事務所(03-3524-8282、ファックス03-3524-8286)まで。参加すると記念品がもらえる。
注:「菅原寿」の「寿」は正しくは旧漢字です。(2010-02-08)
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