コラム・レポート

07年F1で低迷した日本勢、ホンダはマシンが原因(44)

07年F1で低迷した日本勢、ホンダはマシンが原因(44)2007年シーズン前のマシンのお披露目。ホンダF1チーム会長の和田康裕(わだ・やすひろ)も、この時には、ここまで低迷するとは予想していなかっただろう。

【モータースポーツを拡げろ!】2008年のトヨタF1チームのドライバー陣容が固まった。ヤルノ・トゥルーリが残留し、ラルフ・シューマッハー離脱の穴を、ドイツ人ドライバー、ティモ・グロックが埋めた。

ティモ・グロックはF1の直下の「GP2」というカテゴリーで2007年のチャンピオンとなっており、実績をひっさげての参戦だ。実は2004年にジョーダンのテストドライバーを務めており、1戦だけ代役出場を果たしてポイントも獲得しているのだ。

トヨタ第3のドライバーが小林可夢偉(こばやし・かむい)だ。F1の世界で12年目を迎えるベテランに、若手2人が食らいついていく、という形となった。


第16戦の中国GPで4位入賞したバトン。それ以外は8位2回とさびしい成績だった。

それにしても2007年シーズンは、ホンダは予想を大きく上回る低迷、トヨタもそれに引きずられたわけではないだろうが、コンストラクターズ選手権の順位こそ2006年シーズンと変わらぬ6位だったもののポイント数は3分の1に近く、振るわないシーズンとなってしまった。不調の原因は何だったのだろうか。

ホンダはまさにマシン開発の方向性が失敗してしまったことに尽きるだろう。今シーズンの「RA107」は2006年の「RA106」を受けて、というよりも、ガラッと変化させたマシンだったのだ。

フェラーリで9度優勝のバリチェロの腕を持ってしても、今シーズンはノーポイント。

カラーリングも、ファンやマスコミをあっといわせるような、地球を宇宙からみた画像をモチーフにして、環境問題の重要性をアピールしたのは、マシン設計の方針転換に合わせてという意味もあったのだろうか。まさにホンダ魂の発揮、とも言えるが、バトンの5位入賞1回、バリチェロはノーポイントに終わり、結果的に1シーズンをかけても修正がきかないほどにずれてしまっていた。

ドライバーのジェンソン・バトンやルーベンス・バリチェロのテクニックに黄信号を唱える評論もあったが、バトンはホンダで優勝3回(うち2回はBARホンダ)、バリチェロもフェラーリ時代に優勝9回、ホンダに移籍初年の2006年にも4位に2回食い込んでいるため、この風評は的外れと言えるだろう。

シーズン後にホンダは、ロス・ブロウンをレース全般に関する全権の地位で迎え、2008年シーズンの反転攻勢にかじを切った。

2008年もドライバーはバトン、バリチェロと引き続き同じ体制で挑む。この冬のマシン開発は、ホンダにとってまさに真剣勝負の時であろう。

さて、一方のトヨタの207年シーズンの不調は何だったのだろうか。次回で触れてみたい(敬称略、【モータースポーツを拡げろ!】はモータースポーツについて毎週末に掲載します。若手ライターの平本真樹さんが書いています)。

富士スピードウェイ

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