コラム・レポート
隣の患者兼医者の赤ちゃんの写真にもらい泣き(88)
鹿児島市草牟田(そうむた)にある「護国神社」の鳥居。「安政の大獄」(1858年)以降の鹿児島県出身の戦没者等と、自衛隊、警察、消防の殉職者をまつる。鹿児島市の中心部に近い場所にあり、四季を通じて多くの参拝客が訪れる。(著者からの要望で、がん闘病中で具体的な治療法をお知りになりたい方には、最後にお知らせがあります)
【隼人の風】同じ病室にまだ30代になったばかりの男性の患者で、私が2度目の入院をして大変、人当たりのいい「豪放磊落(ごうほうらいらく)さん」から生まれて初めての抗がん剤注入を受けた病院に勤務している内科医がいた。
この患者は、激務にかまけて数回あった自らの血尿を放置していて、ようやく見つけた時間を使って大学病院で受診したところ緊急手術となり、開けてみたら状態がとてもひどかったらしく、本人の弁によれば「目が覚めてみたら、すべてが終わっていた」のだそうで、一生つきあわなければならない排尿口と袋を付けられてしまったとのことだった。
時折は、彼の母親がベッド脇に付き添って時間を過ごしていることがあったが、些細なことから言い争いになると、最後はいつも母親が「あ、そうだね、ごめんなさい」で納めるのが常だった。
私は、自分にも苦い経験が一度あっただけに、やり場のない怒りと悲しみを持て余しているに違いない2人の胸中を思って胸が詰まることがあった。
このお医者さんだって、目の前で苦しむ患者達のために自らの受診を一日延ばしにしながら務めを果たした結果が不幸にもこうなってしまったのだろう。母親は母親で、おそらくは成績優秀だったはずの息子が晴れて医者になり、周囲からも将来を嘱望されて、とても幸福な時間を過ごしていたはずなのに、突然こういった思いがけない事態へ陥ってしまい、あわてふためいただろう。
旧約聖書のヨブ記をまた思い浮かべた私は、きっとこのお医者さんは、神に見込まれるほどの善なる魂を持って生まれたのだろうと思った。神は試練に耐えうる人物として彼を選び、その魂を鍛え上げようとしているのに違いない。
クリスマスイブが迫ってきたある日、彼の母親が病室に入ってくるなり、大事そうにバッグから写真を取り出すと息子に見せた。彼が発病した時に妊娠していた奥さんが無事に出産を終えたのだった。
差し出された初めてのわが子の写真を手に取った彼は「ふーン」とつぶやくと、長いこと食い入るように見入っていた。その側で私は、彼の胸をよぎるものを思って危うくもらい泣きしそうになってしまった。
少年時代から今日まで、私は自分自身が受けた侮辱よりは他人が被った辱めにプッツンときて激しく怒ったり、自らの悲しみよりは人が悲しみに打ちのめされている様子に同情してもらい泣きするという妙な癖がある。
私は、眼前で繰り広げられたこの心温まる人間風景に思わず深く引き入れられてしまい、こっそりとベッドサイドの家族の写真を手にとって「最後まで雄々しく闘うからね」と声をひそめて話しかけた(九州出身で、自衛隊を経て地方で働く重浪明さんが、末期がんから生還した自らの話を不定期にエッセイ風に書きます。
また、重浪明さんからの申し出で、現在、がんの闘病中の方で、具体的な治療法をお知りになりたい方は銀座新聞ニュースまでメール(allginza@gmail.com)でご一報ください。著者から追って連絡させていただきます)。
注:「豪放磊落さん」は42回前後に出てくる医師のことです。その前後に初めての抗がん剤注入を受けた話が載っています。


