コラム・レポート
意地悪い新主治医の後に、看護婦に感謝の合掌(102)
(著者からの要望で、がん闘病中で具体的な治療法をお知りになりたい方には、最後にお知らせがあります)
【隼人の風】松の内があけない病室は比較的症状が軽くて長い帰宅を許された患者が、まだ戻ってきていない空いたままのベッドが目立っていた。そうした中で、弟子の「ドンキー」を引き連れ、新たに主治医になった「陣内君」がさっそうと入ってきた。
彼は、私が昨年の12月はじめに受けたMRI(核磁気共鳴)検査でも、がんの筋層浸潤(しんじゅん)がプラスであって危険なことや、11月末に採取した細胞からも、ランクこそ少し軽かったとはいえがん細胞が認められたことを再度繰り返した。
そして、「まあ、慎重に事を運ぶといった意味でも、もう一度だけ血管造影をやってみようというわけですよ」と、自信たっぷりに頷いて締めくくると、傍らに控える「ドンキー」に促すように視線を投げて「では」と言い残すと立ち去っていった。
「旧歩兵第45連隊」の記念碑。「歩兵第45連隊」によると、1896(明治29)年に熊本城内に創設され、第6師団に所属、1898年に鹿児島に移り、日露戦争、1937年の盧溝橋事件、南京攻略戦、太平洋戦争などに参加した。最後はブーゲンビル島でアメリカ軍が建設した飛行場を破壊する作戦に参加、連隊の80%が戦死傷し、第17軍司令部所在地のマイカで終戦を迎えた。「なんだかいかにも威厳を取り繕うようなタイプだなぁ・・・だいたいがああいうタイプには、自分を実力以上に見せようとする意地悪なのが多いはずだが・・・」と思い、これはマズいことになりそうだと気が重くなってしまった。
昼食時間を過ぎてしばらくすると、昨日優しく私の年明けの帰院を迎えてくれたナースが剃毛(ていもう)にやってきた。ベッド周りにカーテンをめぐらすと「本当に何度も何度もゴメンなさいって感じなんですけど」と言いながら、彼女は性器の周辺を剃毛し始めた。
天井を見つめながら、情けない思いでなすがままになっているしかない私がなるべくリラックスできるようにと、中学校の教頭先生をしているという父親の苦労話をユーモラスにしてくれたり、イメージトレーニングで奇跡的に快復した末期がん患者のケースを話してくれたりしながら手際よく作業をしてくれた。
私は、自分よりもひと回りは年下らしい彼女の優しい心使いと、何よりも人間として扱ってもらえるうれしさに胸がいっぱいになってしまった。それはたぶん、最前線で傷ついて収容され、朦朧(もうろう)となりながら生死の境をさまよっている負傷兵が、やっと運び込まれた野戦病院で従軍看護婦を仰ぎ見る時の気持ちに近かったのかもしれない。
彼女のかけてくれる優しい言葉と、自然な思いやりにあふれた仕草は、これから課される運命に立ち向かう私にとっては平安と安息の象徴だった。
処理されるべき「物」ではなく、たとえ場合によっては救えなくとも血の通った「人間」として扱われることが、これほど患者に大きな喜びと感謝を呼び起こすとは・・・処置を終えてカーテンを開け、小さくお辞儀をして去っていく彼女の後ろ姿に、私はこみ上げるうれしさから思わず合掌していた(九州出身で、自衛隊を経て地方で働く重浪明さんが、末期がんから生還した自らの話を不定期にエッセイ風に書きます。
また、重浪明さんからの申し出で、現在、がんの闘病中の方で、具体的な治療法をお知りになりたい方は銀座新聞ニュースまでメール(allginza@gmail.com)でご一報ください。著者から追って連絡させていただきます)。
鹿児島県立短期大学



